【読みもの】青森の地酒を、酒器と訪ねて地酒が教えてくれる一期一会の酒器選び

尾崎酒造株式会社

第2回尾崎酒造株式会社

ジリジリと強いお日様を感じる真夏から一転。お盆を過ぎた頃から涼しい夜が戻ってきて、薄手のカーディガンを羽織りたくなる9月の青森。晩夏と早秋、両方の味覚を贅沢に味わいながら、各地の地酒が楽しめる季節です。短い夏の思い出を肴に、四季を色で表現した青森の伝統工芸品「津軽びいどろ」の酒器でいただけば、さらに格別の味わいでしょう。

酒蔵の方から歴史やストーリーをおうかがいしながら、「津軽びいどろ」でお酒を楽しむ連載企画。第2回目は、まだ小雪舞う初春、『安東水軍』『神の座』を醸す『尾崎酒造』を訪ねました。日本酒ライターの関友美がお届けします。

世界遺産・白神山地の麓で海とともに生きる鯵ヶ沢

青森県の西海岸に位置する鯵ヶ沢町。縦長の形をした街で、北は日本海に面しており、東は弘前市に接し、南には白神山地がそびえ秋田県と接する豊かな土地です。町名の由来は、「山海の資源が豊かで小川に鰺がたくさんのぼったので『鰺ヶ沢』と名付けた」「鰺がたくさんとれたので鰺屋沢と呼ばれていたから『鯵ヶ沢』になった」など、諸説語り継がれています。津軽藩発祥の地として歴史は古く、その後北前船の停泊地として大いに賑わった時代もありました。

鯵ヶ沢町の南、鯵ヶ沢漁港近くにある「尾崎酒造」を訪れ、代表取締役社長兼醸造責任者(杜氏)の14代目・尾崎大さんに、酒蔵について話をお伺いしました。

福井の船乗りだった尾崎家が、尾崎酒造をはじめるまで

尾崎社長は、東京農業大学で醸造を学んだ後、山形の出羽桜酒造で2年間の修行を経て、2012年に実家である尾崎酒造に入社しました。社長兼醸造責任者(蔵元杜氏)であり父である13代目・行一さんのもと、酒づくりにまい進していた最中の2015年、突如行一さんの癌が発覚しすぐさま入院することに。行一さんは意識もうろうとするなかでも、病床から指示を出し続けました。1年間の闘病生活の末、2016年逝去。同時に尾崎社長は28歳という若さで現職に就任し、今年で5年を迎えました。

尾崎酒造では、長年季節雇用の南部杜氏に酒づくりを委ねていましたが高齢化問題から2010年、行一さん自ら杜氏として酒づくりをスタートして、建て直しを図ってきました。「父はまさしく死ぬまで杜氏をまっとうした人でした。」と偲ぶ尾崎社長の横顔から、父への畏怖の気持ちが垣間見えました。

尾崎家はもともと福井県に居を構えていましたが、船乗りだった初代・五郎右エ門が視察を重ね、物資が豊富だった現在の地に移住しました。その後、通航業から魚の仲買業に転じ、1860(萬延元)年に酒造株を譲り受けたのをきっかけに酒づくりをはじめました。

こうしたルーツが明らかになってきたのは、実は近年のこと。「2017年に東奥日報社から発刊された『あおもり老舗ものがたり』の取材にあたり、母が仏壇に保管してあった資料を丁寧に見ていくと、11代目・彦造さんが記した過去帳が発見されました。それをもとにようやく少しずつ解明されてきました。」と、尾崎社長は語ります。

安東水軍の名の由来・安東水軍とは?酒の味わいについて

『安東水軍』とは、津軽を拠点に広域を治めていた海賊のこと。もとは本姓安倍氏、武士の一族です。唐に工師を派遣して技術を習得させ、大きな船を建造するなど、着実に実力を備えていきました。海賊でありながら、頑丈な船を使って海上自衛隊のような治安維持の役割も果たし、海外やアイヌとも交易をおこなっていたといいます。潤沢な資金をもって藤原家をも助けていたそうです。地域の防御を司り、各地神仏へ寄与をするなど、地元の人たちにとっては英雄のような存在でした。

銘柄が以前の『白菊』から『安東水軍』に変わったのは、町内にある「ホテルグランメール山海荘」の元社長・杉澤さんからの提案がきっかけでした。杉澤さんは歴史に造詣の深い方で、「安東水軍を町の象徴としたい」「安東水軍という酒が飲みたい」と、先代の行一さんに持ちかけました。1987年に新しくつくった酒に安東水軍の名前を冠して売り出して以降、ネーミングの斬新さや味わいの良さから人気となり、やがて主要銘柄へ。かつて通航業を生業にしていた尾崎家にとって、図らずともぴったりのネーミングとなりました。
尾崎社長によると、最初にリリースしたのは真っ赤なラベルの『安東水軍 特別純米酒』。「ラベルの赤は、北の覇者・安東水軍がロマンを求めた雄大な日本海に沈む美しい夕陽をイメージしたものです。亡き父がデザイナーに依頼し、少し深みを出した専用の赤色を作ってもらったと聞いています」と尾崎社長は語ります。

蔵の全員で一致団結。寒さから守る丁寧な酒づくり

建物は魚の仲買業をしていた160年以上前の貯蔵用倉庫だと伝えられており、酒蔵にしては天井が低い設計になっています。年間300~400石(一石=一升瓶100本)の製造から瓶詰め、出荷までのすべてを、尾崎社長を含め少数精鋭の4名で担っているアットホームな酒蔵です。少数であるからこそチームワークを大切に、一つひとつの工程を丁寧に、手を抜くことなく向き合うことを心がけているそう。『吟醸』と名の付く酒の原料米は、ざるで丁寧に手洗いし、昔ながらの和釜で蒸します。冬場は積雪の多さに加えて、海からの強風によって厳しい寒さにさらされます。冷えすぎないよう、酒づくりに大切な菌が心地よい環境で生育できるよう、蔵人たちは気を配りながら数カ月間を過ごします。

とろんと甘い世界遺産・白神山地からの恵みの水を宝物として

手間ひま惜しまない酒づくりもさることながら、尾崎酒造の大きな特徴は、酒の仕込み、蔵の掃除や瓶や道具を洗うのにもすべて、白神山地の伏流水を使用している点にあります。鯵ヶ沢では、生活用水でも世界遺産に指定された白神山地からの水を使用しています。それが当たり前のこととして生まれ育った尾崎社長でしたが、上京で地元を離れてみて、その水こそが大切な宝物であったことに気付いたと言います。「帰省して飲んだ地元の水は、とろんとしていて甘く感じました。旨味があります。その衝撃は忘れられませんよ」と、尾崎社長。そして、「この水を活かした酒づくりをしていきたい」と決意したことを振り返ります。日本酒の約80%は水のため、良質で清らかな白神山地からの恵みが『安東水軍』の味わいに寄与していることは、言うまでもない事実でしょう。

森繫久彌氏が名づけた「神の座」という酒

全体出荷量の約80%が『安東水軍』、残り約20%は『神の座』と『岩木川』という銘柄で構成されています。『神の座』は、1997年に俳優の森繫久彌さんが命名した、蔵にとって思い出深い銘柄です。父・行一さんが大河ドラマでの森繫さんの題字を見て惚れ込み、「書いていただきたいな」と事あるごとに言っていたところ、それが日本酒好きの森繫さんの息子さんの耳に入りました。息子さんは何も言わずに父の晩酌酒に『安東水軍』を出し続け、久彌さんは日々愛飲し続けました。ある日「いつも飲んでいるこの酒を造る酒蔵が、父さんに酒の名を書いて欲しいんだって」と明かすと久彌さんは快諾。白神山地に抱かれながら酒づくりする尾崎酒造を想い、“神様が座って酒を飲んでいる所”という意味の『神の座』という名を進呈してくださったとのことです。願いを発信すること、人と人とのご縁、息子さんの粋な計らい、森繫さんの心意気の良さ。すべてに酒が繋ぐ縁を感じざるを得ません。

Tsugaru Vidro selectedfor 安東水軍

Tsugaru Vidro selected for 安東水軍

「津軽びいどろ」
で味わう
尾崎酒造
「安東水軍」3種

日本酒の味わいは、飲む器によって変化します。口にあたる厚みや角度など形状だけでなく、器の色から受ける印象も気分に影響し、感じ方を大きく変える要因となるのです。赤の器は心を躍らせ、祝宴で金色の盃にお酒を注げば特別な気分になるでしょう。「津軽びいどろ」の酒器といえば、四季をイメージした鮮やかな色合いが特長です。

今回は、尾崎社長に“うちのお酒とあわせたい”というお気に入りの津軽びいどろ酒器を選んでもらいました。『安東水軍 特別純米酒』には「盃12ヶ月コレクション 花見」、『安東水軍 純米吟醸』には「あおもりの肴 盃鮪」、『安東水軍 しぼりたて特別純米無濾過生原酒』には「金彩碧瑠璃 オールドペアセット」です。


友美 「どうしてこの器を選びましたか?」

尾崎社長 「安東水軍ラベルのお酒は、赤いラベルの特別純米酒からスタートしました。蔵の正面の看板も赤色。なんでも、父が鯵ヶ沢の落日をイメージしたそうです。だから赤色は安東水軍のテーマカラー。赤い器の中でも美しく気品があると思い、『盃12ヶ月コレクション 4月(花見)」に惹かれ、選びました」

友美 「お酒を注ぐと、器全体に赤色がふわっと広がりますね。特別純米酒は、しっかりとしたコクがありながらも口当たりは軽やか。芳醇な味わいと、金箔の華やかさが相まって少し贅沢な気持ちになります」

友美 「こちらの純米吟醸は、華やかですね。でも味わいはこれもしっかりとしています」

尾崎社長 「そうですね。青森県の華想いという米を使っています。うちの酒は、水の影響なのか味がしっかりしたお酒になるので、ぜひ食事と合わせて飲んで欲しいです。“こういう酒を造ろう”ではなく、使う米のポテンシャルをそれぞれ最大限に引き出しているので、そのそれぞれの味わいを楽しんでいただきたいと思っています」

友美 「新酒には、随分と大ぶりのロックグラスをあわせてくださいましたね?」

尾崎社長 「このしぼりたては、アルコール18度の力強いお酒なのでお好みで氷を入れて楽しむこともオススメしています。あと鰺ヶ沢の人たちは大酒飲みです。だからいっぺんにたくさん注げるようイメージして、大きなものを選びました(笑)」


まさに青天の霹靂。父から息子へ突然の代替わり

友美 「28歳という若さで会社のすべてを背負うことになった時の話を聞かせてください」

尾崎社長 「父は癌が発覚すると即入院、即投薬がはじまりました。だから正式な就任前から、父の代理を務めることになったのですが、なにも教えてもらっていないので右も左もわかりませんでした」

友美 「社長業はもちろんですが、杜氏になると、一般の蔵人さんたちと違って必要となる仕事が多くありますよね。さまざまな書類の作成や、米の買い付けを含め醸造計画をしたり」

尾崎社長 「そうなんです。酒づくりは、対処法など教えを請いながらなんとか乗り越えました。蔵人さんたちはみんな自分よりもはるかに年上でしたから、当初はやりにくさもありましたが、そうも言っていられない。やるしかありません。母のサポートを得ながら、不慣れな仕事も気合と根性で走り続けてきました」

友美 「本当に大変・・・。そうやって手探りの努力を続けてくださったおかげで現在に至り、私たちは今日も安東水軍を楽しめているわけですね。」


春夏秋冬いつでも心が動く、鯵ヶ沢の美しい自然

友美 「鰺ヶ沢のよさはどんなところですか?」

尾崎社長 「自然が豊かなところ、それに尽きます。海があり、山があり、川があり、畑があり…。そして、四季がはっきりしています。春は運動公園の桜がきれいですし、海もおだやかで、町全体を染め上げるオレンジ色の夕日も見事です。夏は白神山地の十二湖、青池がきれいなのでおすすめしています。シマダイ、鮑、ウニ、牡蠣も美味しい時期ですね。秋は食べ物もおいしいですし、冬を前にした哀愁が町中に漂うのが私は逆にすごくいいな、と思っています。冬は、白銀の世界。酒づくりで蔵にこもるので、冬はあまり詳しくないんです(笑)」

友美 「冬は、毎年みなさんが造った『安東水軍』新酒や特別酒、限定酒が出されて酒蔵の売店で購入することができるのも楽しみのひとつですね。鯵ヶ沢のヒラメの漬け丼も美味しいです。皆さんにも来ていただきたいですね」

尾崎社長 「鯵ヶ沢駅から10分ほどです。近くを訪れたら、ぜひ足を延ばして蔵にもお越しください!」


質問をすると、じっくり考え、やわらかい津軽弁で優しく返してくれる、現在33歳になる尾崎大社長。突然20代で背負うには重すぎる責務とプレッシャーで、歩んできた道のりは大変険しいものだったと思います。しかしひとつずつ丁寧に向き合い、乗り越えてきました。現在はご自身の頭文字をとった「Dラベル」という酒を造るなど新しいチャレンジにも取り組んでいます。ぜひ一度『安東水軍』を手にとってみてください。

ギャラリー

盃12ヶ月コレクション

  • 1月(雪見)
  • 4月(花見)
  • 8月(天の川)
  • 10月(秋の空)

購入はこちらから

あおもりの肴 盃

  • 盃真鯛
  • 盃鮪
  • 盃鯖
  • 盃鮃

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金彩碧瑠璃

  • オールドペアセット
  • 酒器セット

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次回の「青森の地酒を、酒器と訪ねて」は、11月更新予定です。
「いい酒は朝が知っている」のキャッチコピーでおなじみの、日本酒『桃川』『ねぶた』『杉玉』を製造する桃川さんを訪れます。

[ sake writer ]

関 友美 せき ともみ

日本酒ライター/コラムニスト/唎酒師/あおもりの地酒アンバサダー(第一期)/フリーランス女将/シードルマスター
北海道札幌市生まれ。
「とっておきの1本をみつける感動を多くの人に」という想いのもと、日本酒の何でも屋としてお酒の美味しさと日本文化の面白さ、地方都市の豊かさを伝える。また青森県酒造組合認定「あおもりの地酒アンバサダー」第一期メンバーとして、青森県の地酒の魅力を広くPRしている。

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